初級者は「意識」をフルに働かせて走っている
不慣れなことに対して、人は「上手くやろう」と思えば思うほど、一生懸命頭で考えて細かなことまで全てこなそうとします。
でも、頭で複数のことを「同時に」考えて対処することはできません。
ラリーゲームの場合も、私のような初級者は、速度のことやブレーキのこと、ハンドル操作のことなど、差し迫る判断に追われて処理が追いつかないため、次々とミスをしてしまいます。
不慣れな動作を行う場合は、目からインプットされた情報が大脳皮質の思考回路を経由するため、手足の運動としてアウトプットされるまでにおよそ0.5秒かかるそうです。なので100km/hで走行しているクルマなら0.5秒の間に14m進んでしまうことになり、上手く行かなくて当たり前だと言えます。
それでも練習を重ねて慣れるにつれて徐々に頭の中の混乱が落ち着き、とんでもないミスが減ってくるのは、いちいち意識しなくても無意識でできることが増えてくるからです。
このことから、練習とは意識が指示していた動作を、無意識の動作に変えていくことだと言えます。
小脳は「無意識」の宝庫
自転車に乗っている時は、「家の鍵、ちゃんと閉めてきたっけ?」などと考えながらでも普通に走れます。
お箸で食べる、ペンで文字を書く、靴ひもを結ぶ、などなど、人の行動のほとんどは過去の自分が何度も繰り返すうちに無意識でできるようになったことだらけです。
そういった無意識でできる動作を蓄えて身体をコントロールしている器官の代表格が「小脳」です。
小脳は、日常的に繰り返される同じ動作をファイリング・自動化するのが得意で、そうやって意識の中枢である大脳皮質の手間を減らすサポート役のようなものです。
例えばサーカスの曲芸のように難しいことが簡単そうにできてしまうのも小脳の自動化のおかげです。
上級者とは、「小脳をうまく鍛えることができた人」のこと
チコちゃん風に言えばそうなると思います。
日常的に繰り返す動作を自動化するのが得意な小脳ですが、不正確な動作を繰り返すとやっかいな癖となって身体に染み付いてしまうこともあります。
箸やペンの持ち方などもそうですが、本人が不都合を感じない限り癖となって固定してしまいます。
ただ、箸やペンならお手本を見て練習すれば自分で正しい持ち方にアップデートできそうですが、ラリーゲームの上級者のお手本を見ても初級者は真似ができません。
そこで鍵を握っているのは、大脳(皮質)の意識が走りのテーマをどう認識しているか?です。
例えば、走りのテーマを「高いスピード」「強いブレーキ」「しっかり曲がる」「恐怖に打ち勝つ」と定めれば、それに見合う結果を出そうと意識的な操作が繰り返され、小脳によって操作がつぎつぎと自動化されることになりますが、これでは走りが粗削りになってしまう高いのではないでしょうか。
そこで肝心なのは「操作を洗練させていく」ということです。
これを言い換えれば「より高度で正確な無意識操作へのアップデート」ができるかどうかで、自己流の悪い癖になるか、それとも無意識で的確に反応できるようになるかが決まってくると思います。
考えるな、感じろ。
映画「燃えよドラゴン」のブルース・リーの名ゼリフに、『考えるな、感じろ。』という言葉があります。
例えば小さな子供が、クルマのメカや力学的知識がなくても、走って感じたことの積み重ねだけで短期間に驚くような成長を見せるのは、操作の本質を直感的に捉えることが小脳の鍛え方として最適だからなのだろうと思います。
具体的には、走りのテーマを「クルマのサイズと重さと慣性を感じる」「タイヤ接地部分の状態を常に感じ続ける」「勢いを維持して進行方向へ送り込む」と言う風に、研ぎ澄ますべき感覚やイメージに焦点を当てたテーマ意識ならば、小脳は車体挙動というフィードバックの密度を上げることが可能になり、初級レベルからどんどん操作が洗練されていくはずです。
※クルマを操る能力は小脳が鍵を握っており、小脳を鍛えるには直感・五感・イメージがとても重要だということです。ただし子供が安全に速く走れるのはレースに精通した大人のサポートがあってこそです。
感覚とイメージで操作を洗練していく
そんなわけで、初級者の私が取り組む練習方法は乱暴で雑な方法だと思いますが、感覚やイメージを重視することで操作が洗練されていくことを目指しています。
その上で、実感したことに対する理論的な裏付けも学べば、生きた知識となって走りをより洗練することに役立つだろうと考えています。